第2回 メソポタミア文明

まずはじめに

 〇世界史を勉強しなおしたい

〇何となく流れは理解しておきたい

〇受験のために世界史の通史を学びたい

 

そんな人たちに向けた、割とあっさり講義形式の内容でお送りしたいと思います。

このブログの記事を読んで、世界史の面白さや、人生における教訓などを感じ取っていただければ幸いです。

 

 

 

よろしくお願いします!

 

それでは早速、今回の内容を見ていきたいと思います。今回は、

 

メソポタミア文明について

〇文明の特徴

メソポタミア文明の影響力

 

について、講義を展開していきたいと思います。

 

それでは、よろしくお願いします!

 

 さて、前回は人類の誕生について見てきましたが、その中で文明の誕生は大河周辺から、という説明をしました。

 

 今回はその大河周辺の地域について、メソポタミア地域について説明をしていきたいと思います。メソポタミア地域は現在のイラン・イラク辺りの地域を指します。この地域にある大河は、ティグリス・ユーフラテス川です。

 

 また、この地域では「肥沃な三日月地帯」と呼ばれる場所があり(下図の赤で塗られている場所)、そこを中心に人々が集まり集落を形成していきました。

 

「肥沃=作物がよくできる場所」 です。

f:id:l-e-p-s-s:20200309113858p:plain ←こんな感じ

 

この場所を中心に人々が集まって、やれ灌漑農法だ、やれ都市国家形成だ、と文明をせかせかと構築していくわけですね。

 

ですが、この地域は見てお分かりの通り、周囲が陸続きになっています。なので民族移動も激しく、当然豊かな地域をめぐる争いも起きやすいです。従って、この時期(約5000年前)から国家間の抗争はあり、戦いを指導する者、戦う者、それをサポートする職人や商人などといった階級も存在していました。

 

メソポタミア地域で形成されていった都市国家は(前3000年頃)、

〇ウル・ウルク・ラガシュ

 

活躍した民族は、

シュメール人

 

と言います。

 

これらの国は、都市国家を運営するために王が民に貢納を課していましたので、それらを記録するために文字が必要でした。この時使われた文字が楔形文字といって、その文字のごとく、楔のような模様を組み合わせたものが文字として扱われていました。

 

f:id:l-e-p-s-s:20200309121304p:plain 

楔形文字

ちなみにこれらの文字は粘土板に刻まれています。

 

シュメール人の文化をいくつか紹介しますね。代表的なのは、

〇ジッグラト(神殿)

暦法・数学・占星術太陰暦や六十進法など)

 

となっています。

 

ジッグラトは日干し煉瓦で作られた階段状の神殿です。

f:id:l-e-p-s-s:20200312143941p:plain ←こんな感じ

 

これは旧約聖書にも出てくるバベルの塔のモデルとも言われています。

 

バベルの塔のお話は知っていますか?

 この話は、同じ言葉を話す人間たちが高い塔を建設し、そこでみんなで暮らしていくことが考えられていたのですが、天までそびえたつ塔を見た神が、人間が神に近づくことに対して怒り、人間に罰を与えます。

 その罰は、まずは人間の話す言葉をそれぞれ別の言葉に変えます。これによって人間はコミュニケーションが取れなくなりました。それはすなわち塔の建設がストップすることになります。そしてさらに、人間たちを世界各地にばらばらに配置しました。こうして、様々な言葉を話す人間が世界各地に出現した、という具合です。

 

神を怒らせた、人間のつくった天まで届く塔=バベルの塔

ですね。いくつか映画にもなっていますので、ぜひ見てみてください。

 

そして、そのモデルがジッグラトということです。メソポタミア地域にはユダヤ教が誕生したパレスチナ地域も含まれていますし、もしかしたら本当にモデルになったかもしれませんね。

 

太陰暦は月の満ち欠けに基づいてつくられた暦です。現在ではイスラーム世界のヒジュラ暦がその代表例ですね。

 

 さて、資源が豊富なメソポタミア地域ですが、前2300年頃、ついに最初の統一国家が現われます。統一した民族は、

アッカド

です。

統一国の名前はそのままで、アッカド王国。王はサルゴン1世です。

 

しかしこの王国はそう長くは続きませんでした。前2100年頃にはウル第3王朝が、そして前1900年頃になると古バビロニア王国が統一王国として君臨しました。

 

古バビロニア王国を建国した民族は

〇アムル人

メジャーな王様は

〇ハンムラビ王

となっています。

 

ハンムラビ王で覚えておいてほしいのは、彼が制定したハンムラビ法典』についてです。法典ですので、法律ということになります。

 

 国が国内の秩序を正すにはいくつかのコツがあります。そのうちの1つが法律です。つまり、

1.権力者(あるいは組織)がルール(法律)を定め

2.それを破った者(あるいは組織)には罰を与える

 

ことで、人々は行動を制限され、おのれの私利私欲のために動けなくなるのです。これが国の秩序を保つ1つの方法です。

 

なので、ハンムラビ王によって定められた法律によって国は安定し、ただでさえ争いの激しいこの地域ではめずらしく、古バビロニアは約400年も続きました。

 

では、『ハンムラビ法典』の中身を見ていきましょう。

この法典の特徴で覚えるべきはただ1つ!それは、

 

〇「目には目を歯には歯を」

 

の原理であること、のみです。

 

これを別の言い方で言うと、同害復讐法 と言います。

たとえば、

◆ある者が、他人(の子)の目をつぶしたるときは、

 自分の目もつぶされなければならない。

 

など、今では考えれない法律ですね。

 

しかしこの法律、皆が平等かというとそうではなく、特例もありました。それは、

 

◆ある者が、他人の奴隷の目をつぶすかまたは他人の奴隷の骨を

 折ったならば、その(奴隷の)値の半額を支払わなければならない。

 

など、奴隷の扱いに関しては別でした。

 

それでもこれらの法律によって、民同士のいざこざもある程度は抑制でき、国の繁栄には非常に効果的でした。

 

ちなみに法律がない地域は、どうやって生活をしていたのか気になりますよね。

それは慣習です。つまり、

 

「明確に定まっていないけど、人々の間ではなんとなく浸透している決まり」

 

に基づいて生活をしていたんですね。これだと曖昧ですよね。つまり何でもありなのです。何でもありなのであれば、それは国としては危ういですね。

 

それをいち早く脱したという意味でも、やはりこの法典は革新的であったといえます。

 

 このように、大河を有していたメソポタミア地域では、早くから文明が開化しましたが、魅力的な土地であったため争いも絶えませんでした。しかしその一方で、先に滅んだ国を教訓にし、人々は新たなルールを定めたり組織を作ったりと、文明はどんどん成熟していきます。

 

なので、イラン周辺というのはものすごく発展した地域なんですよ。

歴史も深ければ、ノウハウもたくさん持ってる場所ですからね。日本よりも断然先に行っていたのです。

ちなみこの時代の日本は、縄文時代後期ですから、国の概念はまずありません。

 

 

いかがでしたか?

メソポタミア地域と聞くと、なんだかよく分からない単語ですから、それだけで嫌になる人もいますけども、ちょっと掘り下げれば、そこにも人々の営みが確かにあって、それらは確実に私たちの生活のルーツになっているのです。

 

少しは身近に感じてもらえたでしょうか?

 

 

以上です!ありがとうございました。

 

次回はエジプト文明です